

2学期始業式を9月1日、体育館アリーナで行いました。
香川校長は講話で、井村屋グループ会長・中島伸子氏から伺った「1972年 国鉄北陸トンネル列車火災事故」のお話を紹介しました。
当時20歳だった中島氏は、避難の際に一人の女性から懇願され、5歳の子どもを抱いて外に出ました。しかし、混乱の中で手を離してしまい、子どもの行方がわからなくなってしまいます。そして、後で女性と子どもたちは火災に巻き込まれて亡くなられたことを知りました。ご自身も一酸化炭素中毒による後遺症で声を失いましたが、「亡くなった人の分まで生きよう」と決意し、声が出なくてもできる仕事を探し続けました。
その中で中島氏が学んだのは「仕事に貴賤はない。一生懸命取り組むことが大切」ということでした。父から届いた手紙には「声が出なくても立派に生きていける。辛いという字に一本足せば幸せになる。一生懸命生きていくことが大切だ」と書かれていたそうです。その言葉を胸に、中島氏は今も前向きに歩み続けています。
井村屋グループでは、「学歴ではなく意欲で評価する」「しなやかに強く、利他の心を持って進む」という言葉を掲げています。香川校長は生徒たちに向けて、「この言葉を胸に、前を向いて努力してほしい。そして自分だけの“プラス1”を加えながら、成長していきましょう」と呼びかけました。